酪農について考える

海の日の連休中日の日曜日、日本橋が望める赤木屋珈琲にて、『黒い牛乳』(中洞正 著)を読んだ。本日2014年12月8日現在、店は閉じてしまった。

そうしたら、低温殺菌の牛乳を飲んでみたくなった。取りあえず、近所のスーパーの棚にあった「タカナシ」の『低温殺菌牛乳』を買ってみた。

<66℃30分間>と書いてある。殺菌処理の内容だ。ちなみに「明治」の『おいしい牛乳』には、<130℃ 2秒間>と表示されていた。
 
他にも、『タカナシ』のパックには、以下のような記載がある。下線部分は注目したい点。
     種類別名称     牛乳
     商品名         タカナシ低温殺菌牛乳
     無脂乳固形分   8.4%以上
     乳脂肪分      3.6%以上
     原材料名      生乳100%
     殺菌        66℃・30分間
     内容量         500ml
     ・・・(以下省略)
 
 
容器の表示については、食品衛生法に基づく「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(略して乳等省令:1951年(昭和26年))と、「飲用乳の表示に関する公正競争規約」(景品表示法に基づき公正取引委員会の認定を受けた業界の自主ルール)がルールを定めている。

一般社団法人「日本乳業協会」のサイトを参考までに:
 
乳等省令には、牛乳だけでなく、特別牛乳(生乳にもっとも近いとされる)、成分調整牛乳、加工乳などの『乳』と、バター、チーズ(ナチュラル・プロセス)、アイスクリームなどの『乳製品』の定義や成分規格なども定められている。

<牛乳>の成分規格

これについては、「無脂乳固形分 8.0%以上、乳脂肪分 3.0%以上」、製造方法については、「保持式により摂氏63度で30分間加熱殺菌するか、又はこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で加熱殺菌すること」などとある。
 
また、2000年の雪印集団食中毒事件をきっかけに公正競争規約が改正され、乳(搾ったままの殺菌・加工をしていない牛乳のこと)100%でなければ「牛乳」を名乗れなくなった。

それまでは、生乳50%以上であれば、コーヒー牛乳とか、牛乳を名乗ることができたが、いまはご法度である。
 
上記タカナシの低温殺菌牛乳の表示は、ルールに即した内容になっている。

 
牛乳がまずいわけ
生乳を飲んだことも、飲み比べもしたこともない私は、市販されている牛乳を「まずい」などと思ったことはないが、酪農家からすれば、市販されている牛乳は「まずい」のだそうだ。

その理由は、120℃以上の高熱殺菌によるタンパク質(カゼイン)の熱変性に伴う「焦げ臭さ」と、風味の喪失、べとつき、だそうだ。それと、紙パックによる「紙臭さ」(以前は「瓶」も多かった)。

 ここで、今回購入した「タカナシ」の低温殺菌牛乳を飲んでみる。
 
わかるようなわからないような・・・。
 
市販されている牛乳に多い3.5%よりも0.1%濃厚な3.6%だから、わずかでも濃厚な感じはするが、舌に残って絡まるような粉っぽさ(表現が適切でないかも・・)はない気がする。いやある? 正直違いがよくわからない。最近は「豆乳」びいきになっていたので、牛乳はみな五十歩百歩に思えるのかもしれない。。
 

「焦げ臭さ」の原因となっている高温殺菌だが、なぜ高温で殺菌するのか。加熱時間に端的に現れている。タカナシの低温殺菌牛乳で30分。明治のおいしい牛乳で2秒。生産性が雲泥の差だ。
 

 
「濃い」牛乳はおいしい? いつから「高脂肪路線」へ?
 
著者いわく、もともと牛乳は「あっさりした飲み物」なのだそうだ。「牧草を食む牛が『濃い牛乳』を出せるはずがない」らしい。


また、牧場に放牧されている牛の出す生乳の乳脂肪率は、エサとなる草の水分量に左右され、年間を通じて一定というわけではないという。なるほど。


春から初秋にかけての、水分量の多い「青草」を食む牛の生乳は、乳脂肪分3.0%くらいになるし、乾草やサイレージ(牧草を乳酸発酵させた飼料)が主体になる冬場は、水分量が減り、乳脂肪分が3.5ほどの濃い牛乳になるという。

他にも、牛だって生き物だもの、ホルモンバランスや体調など、いろいろ影響を受けるだろうなと思う。
 
しかし、戦後、栄養価の高い飲料として全国的普及が一巡し、牛乳の消費が伸び悩む中、1970年代に農協から発売された「成分無調整」の「3.5牛乳」(それまでは逆に、水分を加えて薄めたりして、乳脂肪分3.0%以上の成分にしていたらしい)が大ヒット。

1987年、全農(全国農業協同組合連合会)は、乳牛メーカーからの要請と合意に基づき、独自の基準として乳脂肪分3.5%以上の生乳の生産を組合員である全国の酪農家に通達した(72p)。

これにより、乳脂肪分3.5%以上の生乳の出荷を実質的に義務付けるに至ったという。実質的にというのは、仮に3.5%を下回ると、出荷価格が半値にされることになったからだ(30p)。
 
 
畜産は2次産業化(工業化)?
結果として、「牧草」(グラスフェッド:grass-fed)を食む「放牧」から、「輸入穀物」(grain-fed)主体の飼料を与える「牛舎」へ、飼育方法が大きく変化していく。
 
「牛舎の中で穀物を主体にした濃厚飼料を与えなければ、年間を通じて3.5%以上を維持することはできない(72p)」。

かつて酪農学園大名誉教授であった、故桜井豊博士によると、<「牛舎」という「工場」で、「牛」という「ロボット」に、「輸入飼料」という「原材料」を用いて、「牛乳」という「工業製品」を生産させているのが、日本酪農の正体”>(29p)らしい。
 
よって、牛乳パックに描かれる「放牧」のイメージは、圧倒的大部分の現実に照らして、単なるイメージ、幻想にしか過ぎない。それよりも、半ばオートメーション化された工場に近いといえる。
 
結果として、この輸入穀物依存体質が、バイオエタノール(bioethanol、バイオマスエタノールとも)の開発や異常気象による干ばつなどによる穀物価格の高騰により、ダイレクトに生産コストの上昇というインパクトを受け、たとえば、2009年3月や昨年10月の小売価格の値上げにもつながっている。

農林水産省の公表している品目別の食料自給率によれば、飼料用を含む穀物の自給率は平成15年以降、3割を切っている。

乳・乳製品は、平成24年概算で6.5割だが、飼料は輸入穀物頼みだから、実際の自給率は2割以下だろう。

ちなみに、日本の健康食を支える【大豆】の自給率が、平成24年概算で8%だが、かなり前から10%を下回る水準で推移していることに驚く。

農林水産省HPより:
 
なお、飼料となる穀物の多くはトウモロコシとなっており、その9割はアメリカから輸入しているという。

「日本の高度経済成長後の経済発展は工業が主導し、おもにアメリカへの輸出がそれを支えた。その見返りとして、アメリカは日本に農作物・畜産物の輸入を求めた(74p)」。

 
 
本来の牛の姿:「強さとたくましさ、賢さ」
 
著者の中洞(なかほら)氏は、なかほら牧場の創業者である。

1969(昭和44)年の新全国総合開発計画に基づく「大規模畜産開発プロジェクト」の一環として行われた「北上山系総合開発事業」に1983年応募して、借金をしつつ、補助金を含むフルパッケージの「建て売り牧場」を手に入れたそうだ(141p)。
 
そして、会計検査院の検査を背景に、採算をとるため、押し付けの酪農指導を受けつつも、学生時代に思い描いた理想、信念に突き動かされて、農協との決別、山地酪農、自前プラントとブランドの立ち上げという、自立した酪農家の途に挑んでいく。
 
その結果がこれ。
なかほら牧場HP⇒ http://nakahora-bokujou.jp/
 
 
その冒険と試行錯誤の中で、中洞氏が発見したのは、「牛の強さ、たくましさ、賢さ」。

ちなみに、姉は「丑年」かつ「おうし座」生まれなのだが、半端なく「強く、たのもしい」(笑)。
 
中洞氏の文章をそのまま以下に引用したい(130p-131p)。とても躍動感のある筆致で頼もしい牛の姿が描かれている。
 
牛舎で生まれ、牛舎の中で一生を終えるひ弱な牛と異なり、自然に育って生活する牛は、人が容易に入り込めないような急な傾斜地、深いヤブの樹林をものともせずに入り込み、餌となる草をより分けて食べながら、草むらを踏みつけていく。定例の行き届かない山林の下草としてうっそうと生い茂るササなども牛の食糧だ。牛がそれを食べ、踏みつけるために、牛の入った深いササの藪は急速に消えていく。日本では手入れが行き届かず、クズという蔓性の植物に占領された無残な里山を見かけるが、クズもまた牛の食糧となる。クズに覆われた山林も牛にかかれば急速に消えていく。牛は地面に落ちた枯葉や枝や枯れ木を踏み砕き、豊かな土壌に変えていく。同様に木からこぼれ落ちた種も、牛は踏みしめることで着床させ、新しい苗を芽生えさせる。牛の餌食となった山林は、数年の後には、人間の手が行き届いた山林のように藪上の下草が生え、やはては牛の餌となるさまざまな下草が生えそろう。この下草は大地に根を張り、その豊かな表土をしっかりと守る。荒廃した山林を牛が守り、豊かな森に変えてくれるのである。また、人が容易に入り込めるようになるため、枝打ち作業などの森林の保全もかなり楽になる。山仕事でいちばん大変なのは枝打ちや間伐作業ではない。その作業を行うことができるように、下草を刈る作業がいちばん重労働なのである。これは苗木を植林した後の5~10年間、苗木の成長を阻む雑草や灌木、蔓性の植物などを鎌や刈り払い機で取り除く作業だ。下草刈りが行われるのは、植物の成長が盛んな土用のころである。真夏の猛暑期に行われる作業は大変過酷だ。そのうえ、ハチに刺されたり、ヘビに咬まれる。あるいは漆にかぶれるといったことも日常茶飯事である。こうした作業を牛が人に代わってやってくれる。しかも、行く手を阻むような下草を健康でおいしい牛乳に変えてくれる。私は「下草刈り」をもじって「舌草狩り」と呼んでいる。 
 
う~ん、最後はなるほど、ですね。
 
また、牛の消化機構もかねてより知られているが、すごいものだ。
牛は4つの胃袋と「反芻(口をモグモグさせて食べ物と口に戻して唾液と混ぜる行為)」の仕組みをもっていて、人間が消化吸収できない強固な繊維質の壁(細胞壁)を持つ草を分解発酵し、その中の栄養分を摂りこむことができる。草を食べて、あの巨体と牛肉・牛乳など栄養価の高いタンパク源を生み出すことができるのは、そのためだ。
 
 
ここで著者が放牧牛と牛舎牛をいろいろ比べているので、その内容の一部を表にまとめてみた。すべて綺麗に比較対照できるほどの情報量でもなかったけど…

違い

牛舎飼い

山地酪農(中洞氏の例)

生活環境

牛舎

フリーストール(牛を1頭ずつ収容する区画)

排泄訓練

搾乳の都合で尾っぽを切り取ることも。

糞尿の清掃。

放牧地

放牧地の面積と頭数のバランスが大事(1ヘクタール当たり2頭を基準)。

寒さを避ける斜面や木陰、暑さを避ける木陰、風通しの良い尾根、沢筋の水場などの多様な地形が必要。

糞尿はそのまま牧草の肥料に。

出産

ほとんど人間の手による出産。

出産から2か月(泌乳がピーク)で人工授精。

約9か月(280日前後)で出産。

自然分娩。

母牛と子牛

出産後すぐに引き離し、子牛房・保育房へ。

哺乳バケツで母牛の初乳(出産後5日間の牛乳:出荷できない)を与える。

なるべく早く代用乳(粉ミルク)、人工乳(離乳食)へ。

2か月は自然哺乳。発育。情緒安定に役立つ。

2か月後には隔離、互いに自立させる。

搾乳時期 

※牛の泌乳は分娩・出産後の約11.9か月(361日)

※牛の平均寿命は20年以上

出産前の2か月は乾乳時期(搾乳しない)。

初乳を除き、残り10か月は毎日一日2回搾乳する。

生涯における泌乳量のピークは出産3~4回目の後。平均供用年数は6~7年(その後は屠殺処分、農林水産省の2005年データより)。

乾乳時期は同じ。

出産後2か月は子牛のもの。

朝夕搾乳。

除角

怪我や事故の原因になるので、人やほかの牛の安全のため、生まれて間もなく除角。

行わない。角により、集団内の秩序が生まれる。

蹄(ひづめ)の削蹄

定期的な削蹄が必要。

行わない。自然放牧の中で自然にすり減る。

健康状態

サプリメントや薬剤

放牧病といわれるダニ熱やワラビ中毒の予防注射は行わない。自然放牧による強靭な足腰、消化器系や呼吸器系の強さを育み、また、毒草を判別することができる。

 
 
 
 
家畜福祉の考え
牛舎での飼育が人道的に問題であるとか、著者は直接的には論じないが、Animal welfareの考え方を紹介してくれている。
もともと1965年イギリスで提唱された5つの自由(Five Freedom)がベースになっているとのこと。
考え方自体は古くから一部の人々が主張してきたものだけれども、1964年のルース・ハリソンの「アニマル・マシーン」という本を通じてヨーロッパの人々に広まったという(109p~)。
 
また、その後1997年に、オランダのアムステルダムにおけるEU会議で採択された「動物の保護及び福祉に関する議定書」なども紹介されている。
 
 
日本の林業のいま。“山地酪農”のススメ
 
著者は自然放牧を行う手がかりとして日本の豊かな自然資源に着目しているという。
 
日本の国土の約7割を占める森林資源。

そのうちの4割は、戦後焼け野原となった国土の復興に向けた木材需要のため、「拡大造林政策」によって植林されたスギ、ヒノキ、各種マツなどの針葉樹を中心とする「人工林」とのことである。

しかし、東京オリンピックの年(1964年)の木材輸入自由化など、コストのかかる人工林を中心とした林業経営は採算が立ち行かなくなり、このところ収穫期を迎えつつある人工林が、木材価格よりも伐採コストのほうが高いということで放置されている実態があるという。
 
そして、林業経営の停滞、人工林の放置、山村の過疎化などにより「里山」が荒廃して「獣害」が進んでいるほか、枝打ちや間伐がなされず放置された林床が衰え、土壌浸食が進んで雨天時の土砂災害や渇水時の水不足を生んでいるとのことである。
 
なお、戦後の拡大造林と花粉症との関係について関連性を肯定する見解もあれば、別の原因を指摘する向きもある。後者の観点で展開するブログを一つだけご紹介。

 
 
そこで著者の中洞氏は、放牧による山林保全、国土保全、ひいては安全保障を提案している。

放牧によって荒れ果てた山野が手入れの行き届いた豊かな森に変わっていくのは、すでに中洞氏の文章のままご紹介したとおりだ。
 
こうした山地酪農を含む、多様性のある酪農へいかに軌道修正を測っていくのか。いかに山で食えるのか?と著者は問いかける。
 
現在主流になっている輸入飼料に依存した高脂肪牛の生産、流通、消費。本来高コストな牛乳が、水や清涼飲用水と同じ価格帯で売られているカラクリ。牛舎と補助金で自主性が損なわれた酪農。
 
そこには、人間の自主独立と、自然の摂理を歪めた、政府や集団の介在がある。
 
そこからの脱却は、とてもとても難しく、体力、知力、気力が必要だ。
 
著者も、そのしがらみ、惰性に抗い、荒野を開拓することのチャレンジに、たびたび言及している。
 
そして、採算を確保するための付加価値の創出、地道で緻密なコスト管理にそろばんたたき、積極的で果敢な営業活動、そして縁、巡り合わせなどに触れるのである。
 
 
単純にまとめてしまえば、個人個人の生き方の問題に還元されてしまうようにも思う。もっと、自然と調和して、最大多数の豊かな生活が保障される仕組みづくりがなされることが理想なのだけど、なぜか現実は本当にそうはいかないね。