優しいひとへ。その美しい瞳に。

母が亡くなったのが深夜未明。病院は亡くなった身柄の収容場所ではないから、速やかな退出を求められる。

東京に戻っていた私は、母の死に際には物理的には立ち会えなかったが、電話口で母に語りかけ、見送った。

間も無く諸々の話で病院に残っていた姉から連絡が入る。たくましい姉はこんな急変にも、見事に次から次に立ち上がる現実問題の処理に臨機応変に対応した。遺影の話にも及んだ。

生前の母曰く、私が送った写真を使って欲しいとのことだった。スマホで撮影したものだったから再現できないかという。送ったものが見当たらないらしい。早速データのバックアップを確認したが、何かの時に削除してしまったらしい。

とりあえず東京で行うべき作業を終えて実家に戻った。正確には姉の手配した葬儀場だ。深夜の連絡にもかかわらず遺体の搬送にも迅速に対応してくれたらしい。この葬儀場のことも母は姉に話していたらしい。このあたりにあって、家族葬にも対応してくれると。

写真が見つかっていた。電話の後、家で別の探し物をしていたら不思議にふと現れたという。

嗚呼、その写真をみて胸が熱くなった。私が撮った写真たち。数年前に実家に戻った際に立ち寄ったレストランで撮って送った。

オフホワイトの壁面と深い茶色の柱が高い天井を支える小洒落たレストラン。棚にワインの瓶が並ぶ。赤のラベルが目立つ。
母が身にまとっていたのは、真っ赤な長袖のカットソー。首にグレーのストールを巻き、ブローチで留めている。いつもの赤の口紅。

思わず感嘆した。なんとも美しい。背景の彩色になんとも映える。写真を撮らねば…

母は写真がまんざら嫌いではない。ちょっとしたポーズにも愛想よく応じてくれるお茶目な面と気前の良さがあった。

この時も、<母さん、撮りますよ〜>と言うとさりげなく写真用のスマイル😊

もう一枚、構図を少し変えて撮ってみた。

最初の一枚が母さんが選んだ写真。

これに私は<美しいひとへ>と書いたポストイットを裏に貼って送ったんだ。

他にも何枚か自宅で撮った写真など含めて送った。一枚一枚メモを貼った。

母が選んだ写真は、薄いサングラスをかけていて、実は目の表情はよくわからなかった。

葬儀場の方に遺影の製作をお願いしたらサングラスの曇りで見えなかった目の表情がきれいに再現されていた。そしてびっくりした・・

母の瞳はこの上もなく優しく、慈愛に満ちていた。

いつも外出時はサングラスをかけていた母。改めて理由を聞くことなどなかったけど、なぜだったのだろう?謎のままだ。その美しい瞳を隠して母は何と対峙していたのだろう。。

そして、母の前にいたのは、他のだれでもない、私。

母は私を、こんなにも優しい目で見ていた。そのまぎれもない真実の与える確信に、母の死後巡り会う。

写真とは、改めて思う、被写体の一瞬を切り取るものだと。そして被写体の美しさを知らなければ、美しい写真など撮れるわけがないのだ。

私は母の美しさを知っていた。

可愛らしさも、その機智に富んだユーモアも、機転も。

私は母をとらえていた。その計り知れない深さ、味わいを。

その瞳は今も私の前にいる。

たくさんの愛をありがとう。