癌性髄膜炎(がんせいずいまくえん)
この病名を知ったのは、実は最近のこと。
母が激しい頭痛に苦しんでいた。
離れた実家で母を看病する姉から、この激しい頭痛について調べてほしい との連絡を受けた。
検索文字は、「乳がん」「頭痛」・・だっただろうか。少々難儀した記憶。
そして見つけた。
ちなみに母は、2年くらい前から、20年近くも前に手術をした乳がんが再発していた。ただ再発といっても、転移先は、膀胱周辺、骨など、乳房とは別の場所だ。
見つけたのは、このAmebaブログ「ある脳外科医のぼやき」の2つの記事。
- 癌性髄膜炎の認知度の驚くべき低さ|ある脳外科医のぼやき(2012年11月13日公開)
- 癌性髄膜炎って? 終末期について④ 再編版|ある脳外科医のぼやき(2010年8月20日公開)
以下は、最初の記事からの抜粋。
癌性髄膜炎とは何か??
それは癌の脳や脊髄の表面への転移です。
同時に、脳や脊髄の周りを流れる脳脊髄液中にも癌細胞が浮遊している状況です。
これが起きると、
水頭症からの意識障害を来たしたり、
様々な神経に浸潤することで多種多様の症状をきたします。
しかも、
発症すると平均余命が4-6週間とされるほど厳しい病気です。
母は、激しい頭痛に襲われ、とある月の18日、かかりつけの大学病院に緊急入院した。
CTにも異常はなく、ホルモン剤が合わなかった可能性が高い との主治医の発言(処方がまずかったということを自ら認めたと思われる)に失望し、退院。このときはMRIは撮っていない。
しかし、ホルモン剤は抜けていくはずなのに、頭痛はひどくなるばかり。
翌月16日、再度緊急入院。そして23日、亡くなった。
最初の緊急入院から実に約5週間目。
1回目の緊急入院で見逃し、2回目の緊急入院でMRIを撮って確定診断に至るまで6日を要し、放射線治療の開始までにさらに2日を要し、明日から放射線という時に日付変わって深夜未明、放射線治療を受けることなく亡くなった。
2回目の緊急入院の直前くらいかな、上のブログを読んでいた。
入院後、医師は余命数か月などといっていたけれど、患者とその家族を思えばそう言ったほうがよいのかもしれないけど、私としては、最初の入院から2回目の入院までにすでに1か月近くが経過していたことを思えばそんな悠長な話な訳はなく、一日一日固唾を呑んで生活し、看病していた。
私が今これを書くのは、上のブログの先生が書いているように、医師の認知度が低い中で、患者とその家族がしっかりと医師とのコミュニケーションを「積極的に」実践していかなければ、真の治療は受けられない ということ。
また、医師も看護婦も、比較的調子のよいときにやってきて、今日は比較的よさそうだ と簡単に記録していく。しかし、身近で看病する家族は症状が間断なく不安定に変動する様を見ている。それは患者やその家族が伝えなければ医師にも看護婦にも伝わらない。患者は慢性化しつつある症状の中で感覚がマヒしていくことも考えられるから、看病している家族こそしっかり伝えていきたい。
「癌性髄膜炎」。髄膜播種ともいう。固形になっていないのでCTに異常は出ない。転移性のがん患者にみられる。特に末期の患者に。激しい頭痛。MRIで画像確認できる。
このくらいは知識として知っておこう。
知らないことは愚かなことであり、知ろうとしないことは人生の放棄に等しい。にしても、あまりにも知らなすぎた。
そんな事柄がごまんとそこここに散らばっているとしたら・・・
少しでも「知らない」を「少しは知っている」に変えていきたい。
癌性髄膜炎になっても治療して回復を願う人には、最後にこちらを参考までに。
http://plaza.umin.ac.jp/sawamura/braintumors/meta/