ヤエチカ Sandog Inn 神戸屋 Since 1916
酪農について考える
海の日の連休中日の日曜日、日本橋が望める赤木屋珈琲にて、『黒い牛乳』(中洞正 著)を読んだ。本日2014年12月8日現在、店は閉じてしまった。
牛舎で生まれ、牛舎の中で一生を終えるひ弱な牛と異なり、自然に育って生活する牛は、人が容易に入り込めないような急な傾斜地、深いヤブの樹林をものともせずに入り込み、餌となる草をより分けて食べながら、草むらを踏みつけていく。定例の行き届かない山林の下草としてうっそうと生い茂るササなども牛の食糧だ。牛がそれを食べ、踏みつけるために、牛の入った深いササの藪は急速に消えていく。日本では手入れが行き届かず、クズという蔓性の植物に占領された無残な里山を見かけるが、クズもまた牛の食糧となる。クズに覆われた山林も牛にかかれば急速に消えていく。牛は地面に落ちた枯葉や枝や枯れ木を踏み砕き、豊かな土壌に変えていく。同様に木からこぼれ落ちた種も、牛は踏みしめることで着床させ、新しい苗を芽生えさせる。牛の餌食となった山林は、数年の後には、人間の手が行き届いた山林のように藪上の下草が生え、やはては牛の餌となるさまざまな下草が生えそろう。この下草は大地に根を張り、その豊かな表土をしっかりと守る。荒廃した山林を牛が守り、豊かな森に変えてくれるのである。また、人が容易に入り込めるようになるため、枝打ち作業などの森林の保全もかなり楽になる。山仕事でいちばん大変なのは枝打ちや間伐作業ではない。その作業を行うことができるように、下草を刈る作業がいちばん重労働なのである。これは苗木を植林した後の5~10年間、苗木の成長を阻む雑草や灌木、蔓性の植物などを鎌や刈り払い機で取り除く作業だ。下草刈りが行われるのは、植物の成長が盛んな土用のころである。真夏の猛暑期に行われる作業は大変過酷だ。そのうえ、ハチに刺されたり、ヘビに咬まれる。あるいは漆にかぶれるといったことも日常茶飯事である。こうした作業を牛が人に代わってやってくれる。しかも、行く手を阻むような下草を健康でおいしい牛乳に変えてくれる。私は「下草刈り」をもじって「舌草狩り」と呼んでいる。
違い |
牛舎飼い |
山地酪農(中洞氏の例) |
生活環境 |
牛舎 フリーストール(牛を1頭ずつ収容する区画) 排泄訓練 搾乳の都合で尾っぽを切り取ることも。 糞尿の清掃。 |
放牧地 放牧地の面積と頭数のバランスが大事(1ヘクタール当たり2頭を基準)。 寒さを避ける斜面や木陰、暑さを避ける木陰、風通しの良い尾根、沢筋の水場などの多様な地形が必要。 糞尿はそのまま牧草の肥料に。 |
出産 |
ほとんど人間の手による出産。 出産から2か月(泌乳がピーク)で人工授精。 約9か月(280日前後)で出産。 |
自然分娩。 |
母牛と子牛 |
出産後すぐに引き離し、子牛房・保育房へ。 哺乳バケツで母牛の初乳(出産後5日間の牛乳:出荷できない)を与える。 なるべく早く代用乳(粉ミルク)、人工乳(離乳食)へ。 |
2か月は自然哺乳。発育。情緒安定に役立つ。 2か月後には隔離、互いに自立させる。 |
搾乳時期 ※牛の泌乳は分娩・出産後の約11.9か月(361日) ※牛の平均寿命は20年以上 |
出産前の2か月は乾乳時期(搾乳しない)。 初乳を除き、残り10か月は毎日一日2回搾乳する。 生涯における泌乳量のピークは出産3~4回目の後。平均供用年数は6~7年(その後は屠殺処分、農林水産省の2005年データより)。 |
乾乳時期は同じ。 出産後2か月は子牛のもの。 朝夕搾乳。 |
除角 |
怪我や事故の原因になるので、人やほかの牛の安全のため、生まれて間もなく除角。 |
行わない。角により、集団内の秩序が生まれる。 |
蹄(ひづめ)の削蹄 |
定期的な削蹄が必要。 |
行わない。自然放牧の中で自然にすり減る。 |
健康状態 |
サプリメントや薬剤 |
放牧病といわれるダニ熱やワラビ中毒の予防注射は行わない。自然放牧による強靭な足腰、消化器系や呼吸器系の強さを育み、また、毒草を判別することができる。 |
福岡伸一さん「動的平衡」を読んだ。
がんの歴史書を読んで(第1回)~「がん」とは細胞の異常増殖
「乳がんと牛乳」に続けて、図書館でチラ見していた「病の皇帝「がん」に挑むー人類4000年の苦闘」(原著 "The Emperor of All Maladies/ a Biography of Cancer by Siddhartha Mukherjee” 訳 田中文)を読みました。著者は、1970年インドのニューデリーの生まれで、アメリカの大学に進学した、腫瘍内科医。上下巻あわせて700ページほどあり、こんな大部な本を読むのは久しぶり。
ですが、この本、がん医療にかかわる人の必読書ではないかと思います。特に、癌の治療を職業とする「医師」という専門家集団には例外なしに読んでほしい。なぜなら、最近思いを強くするのは、情報量が結果を左右するということ。会社で勤めていてもわかるけど、会社の内実、過去の経緯、背景を押さえているかいないかで、仕事の仕上がりが全然違ってくる。難しいなとか、なんでできないんだろうって自分の能力のなさに落胆するより、むしろ手持ち情報が少ない理由を分析したほうがよい。がんに取り組むのなら、「癌の歴史書」(本の副題は、癌の伝記を意味するbiography of cancer)であるこの本を読んでいるか否かで、見える視界は全然違うんだろうなって思う。文学作品としても素晴らしいと思う。著者独自の視点、観察、分析、理解を、鋭い的確な表現を用いて巧みに描いている。感動が押し寄せ、圧倒される。
読んで強く印象付けられたのは、医学・医療の発展とは科学の発展であり、人体実験、動物実験、死体解剖を通じて、ルールも地図もないフロンティアを、情熱と形のないアイディアに突き動かされた医師や研究者たちが、過去の知見と自らの信念を頼りに、たゆまず突き進んだ数々の人生物語が織りなす世界、なのだということ。
その長い物語をどう整理しようか考えてみたけれど、本の筋に沿って順に要点をまとめていくより、大胆に、<がんの定義と到達点>(今回)と、がんの治療と予防の歴史と到達点(次回以降)とに分けて、自分なりにまとめてみたい。
がんとはなにか?「細胞の無限かつ無制御の増殖」。しかし、このように定義されたのはそれほど古いことではなく、今ではあたりまえのような、<あらゆる生物は(人体も)細胞からできている>、<細胞は細胞からしか生まれない>という「細胞説」を唱えたのは、19世紀のドイツの医師<ウィルヒョウ>だ。成長には「細胞の肥大」と「細胞の過形成」しかないとして、彼は、当時、感染症が原因ではないかとされていた「白血病」を、細胞の「病的な過形成」に分類し、「白い血液のがん(病気)」という意味のLeukimia(ルキーミア)という名を付けた。
その前までは、人体は四つの「体液」、血液、黒胆汁、黄胆汁、白い粘液から構成されて「均衡」を保っており、このバランスが崩れると病気になるという、紀元前400年前の医学者<ヒポクラテス>が提唱した「四体液説」が広く深く信じられていたというから驚いた。そして、鬱、メランコリーとともに、がんは黒胆汁の異常によるものだとされ、黒胆汁の流れる管が真剣に探索されていた時代もあったというからさらに驚く。解剖学が未発達で、顕微鏡のない時代の話であることを思えば頷けるけれども(顕微鏡によって初めて「細胞」の発見が可能になったのだから)。
細胞(がん細胞)はなぜ無秩序な分裂を始めるのか?<発がん>のメカニズムについては、いまでは、細胞分裂時のコピーミスによる<遺伝子の突然変異の蓄積>とされているが、そこに至る物語は長い。まず<遺伝子>と<突然変異>の発見が必要である。エンドウマメの観察から「遺伝」という現象を発見したのは、修道院の司祭であったメンデルだけど(1860年代)、何らかの<物質>によって世代間で<形質>の受け渡しが行われているだろうと予想はしたものの、その物質がなんであるかなど彼は知ることはなかった。その物質に<遺伝子>という名前がつけられたのは1909年、植物学者による。
他方、生物学者の<フレミング>は、化学染料によってサンショウウオの細胞分裂を視覚化することを試み、細胞核内部に強く染まる糸状の構造体があるのを発見し、「染色体」と名付けた(1879年)。また彼は、あらゆる「種」の細胞が固有の数(ヒトは46本)の染色体をもち、細胞分裂ではこの染色体が複製され、分裂により2つの娘細胞(じょうさいぼう:1つの細胞の分裂の結果、生成される2つの細胞のこと)に等分されることを発見する。
しかし、遺伝子と染色体を結びつけ、遺伝という子孫への形質継承がこの染色体の複製と分裂によって担われていること、また、遺伝子が染色体という糸状の構造体の中でDNAという化学物質の形で存在することを明らかにしたのは、モーガンというショウジョウバエの研究者だ(1915年)。モーガンはまた、ショウジョウバエの中に突然変異体(表現形が正常と異なる個体)が現れることを発見し、それが遺伝子の変異によること、変異遺伝子もまた世代間で伝わることを発見した(1910年代~)。いま聞くと驚くような内容じゃないけど、当時はすごい発見で、このモーガンさん、1933年にショウジョウバエの遺伝子に関する研究の功績が認められて「ノーベル医学・生理学賞」を受賞している。
では、ヒトのがん細胞とショウジョウバエの遺伝子の突然変異がどのように結びつくのだろうか?実はここからが長く、半世紀を要したらしい。
モーガンの弟子のマラーは、1920年代には、X線照射によって、モーガンの発見した自然変異(複製時のコピーミス)を人為的に加速できることを発見していた。他方でラジウムを発見したキュリー夫人が白血病に倒れたことなどからX線ががんを誘発することは知られていたのだけれど、モーガンとマラーは不仲で、X線⇒発がんと、X線⇒遺伝子の突然変異⇒突然変異体を統合して、遺伝子の突然変異⇒発がんを結びつける想像力を発揮する精神的ゆとりを失ってしまっていたらしい。科学者は、大胆な仮説を打ち立てる想像力と跳躍力、そしてそれを実証する着想と技術が何より大事なのだ。
では、その後の半世紀で何が起きたのか。そこではラウス肉腫ウイルスによる発がんの仕組みが注目された。今日、ウイルスによる発がんは肝炎ウイルスなど全体の約15%とされるが、当時はウイルスこそが発がんの唯一の原因であると主張する人たちもいたらしい。しかし、ラウス肉腫ウイルスの増殖に関係する遺伝子がふるいにかけられると、それはあらゆる生物の細胞に存在することが分かり、ただ正常細胞の遺伝子と異なつて、タンパク質の合成を活性化するキナーゼというリン酸化酵素が異常に活性化されている(変異)ことが分かった。ラウス肉腫ウイルスは、がん細胞の変異した遺伝子を取り込んで(!)増殖し、がんをつくっていたのだ。この研究により、ラウス肉腫ウイルスによる発がんは、変異した遺伝子が原因であり、この遺伝子(がん遺伝子)は宿主の正常細胞の遺伝子(原がん遺伝子と呼んだ)に由来することが明らかにされた。さらにその後の研究で、発がんに関わる遺伝子変異には2種類あり、ラウス肉腫ウイルスが利用していた、タンパク質の合成を活性化して細胞分裂を促す「アクセル」としてのがん遺伝子のほか、逆に細胞分裂を抑止する「ブレーキ」としての抗がん遺伝子(がん抑制遺伝子)があることも分かった。どちらの異常も(アクセルの場合は活性化、ブレーキの場合は効きが悪くなる不活性化)、無秩序、無制御な細胞分裂を誘発する。ここまでがモーガン以降、半世紀を要したガンの話。
ちなみに、遺発がんを取り巻く環境的・外的要因もいろいろ明らかにされていく。肺がんと喫煙の関係は典型で、1964年のアメリカにおける報告において、喫煙は肺がんの主要な原因であると明確にされている。ほかにも、合成ホルモン、アスベスト、肝炎ウイルスによる慢性炎症、ヘリコバクターピオリ(細菌)による慢性胃炎もまた発がん因子であること1980年代にかけて明らかになっていくが、いずれも、がん予防のための強力な戦略を生むためには、もっと深い発がんメカニズムの理解、これらの発がん因子が何をしているのかを突き止める必要があり、それが、上記のような経緯により、たとえば、たばこの中に含まれるニコチン、タールなどの化学物質や慢性炎症による慢性的な細胞の損傷と修復のサイクルが、細胞内の遺伝子の変異を誘発する一因になっていることがわかってきたのだ。
1980年代以降、ヒトは、ヒトのがん遺伝子とがん抑制遺伝子をがん細胞から分離し、特定する作業を進める。細胞内には約2万個の遺伝子(ヒトゲノム計画により2004年に判明)があることが明らかになっているが、腫瘍生物学者のワインバーグは、変異したがん遺伝子は「ほんの一握り」しかないはずと大胆に予想し、素晴らしい技術でがん細胞内の遺伝子(DNA)を正常細胞に移し、無制限の増殖により多数の細胞からなるいびつな山(フォーカス)を形成するかを観察した。1982年にはras(ラース)というがん遺伝子の分離、1986年にはドライジャらとともにRbというがん抑制遺伝子の分離に成功し、これを皮切りに、90年代までに、ほかの多くのがん遺伝子とがん抑制遺伝子の特定がなされることになった。
しかし、遺伝子組み換えマウスにがん遺伝子を組み込んだ実験の結果はイマイチで(がんの発現はわずかであり、時間も要した)、がんが一つの遺伝子変異より突如発生するものではなく、様々な外的、内的要因の影響を受けて、細胞内の遺伝子変異が多段階に進み、同時に細胞自体も正常細胞から前がん細胞、そして浸潤性と転移性を有する悪性細胞へと段階的に進行していく、長くてゆっくりとした「発がんのマーチ」を要するものであることを再認識させる。
加えて、発がんにおける遺伝子の働きも明らかになってきた。遺伝子により制御された細胞内では、遺伝子のもつ設計書に従い合成されるタンパクとタンパクとがシグナルの伝達経路を形成し、その有機的な統合によって細胞として機能しているのだけれど、がん遺伝子やがん抑制遺伝子の変異は、細胞分裂にかかわるシグナルの伝達経路を異常に刺激してタンパクの異常な合成を促しているだけでなく、傷を治すための血管を新生するシグナル経路、細胞死を阻止するシグナル経路、免疫細胞が感染巣などに移動する際に利用する運動性を促すシグナル経路などにも働きかけて、正常では考えられない、がん特有の異常な挙動を誘発しているということらしい。いわば、がん細胞は我々のゆがんだバージョン。
がんとは何か? がんは、細胞内の遺伝子の突然変異の蓄積により誘発される、細胞の異常増殖であり、血管を新生し、浸潤し、転移をする。がん細胞には確かに遺伝子レベルでの変異があるのだが、正常細胞との違いはほんのわずかに過ぎない。この正常細胞から悪性細胞への形質転換を支配する法則については、2000年にワインバーグらにより発表された「がんの特徴」という論文により、次の6つの細胞生理学的変化が合わさったものであるとされた。
①がん遺伝子の活性化による自律的な増殖能の獲得
②がん抑制遺伝子の不活性化
③細胞死(アポトオ-シス)機能の不活性化
④無制限な複製力
⑤血管をがん細胞の周囲に新生する能力の獲得
⑥多臓器への移動、組織への浸潤、全身転移の能力獲得
今回はこれでおしまい。次回は、人類のガンに対する理解の度合いが、ガンの治療と予防の内容を決めてきたことを、がん治療と予防のそれぞれの歴史、治療と予防の間の亀裂と統合などを追いながら、まとめてみたい。
なお、文章が粗いので、更新を続けていきたいと思います。
乳がんと牛乳
乳製品とホルモン依存性のがん(乳がん・卵巣がん・前立腺がん)との関係について、最近「乳がんと牛乳」(原著タイトル"Your Life in Your hands" by Jane Plant、訳者は山梨大医科大学名誉教授の佐藤章夫氏) という本を読みました。とても参考になりました。
がんに関しては最近いろいろ読んでおります。
こうした生物化学、医学、栄養学、病気などのつながりについては、いざわが身に降りかかった時に備えて、いろいろ基礎的なことは押さえておきたいと思うこのごろ。
まゆつばものも多いこの類の本は、納得がいくまでいろいろ情報を得て自ら考えることが何より大事。
著者は、自身が進行性の高い乳がんを患い、全摘手術を受けたものの、その後4回再発、さらに首のリンパ節にも転移したにもかかわず、牛乳・乳製品を一切絶って6週間で「生還」した経験の持ち主。チーズも、バターも、ヨーグルトもさることながら、ビスケット、ケーキ、その他様々、乳製品を含む食品の多さに驚いたという。
著者の説く、牛乳その他の乳製品と乳がんの関係を理解するには、「牛乳」と「がん細胞」のそれぞれの特徴に分けて考えてみるとわかりやすい。
(以下では、訳者の解説も参照し、説明を試みました。)
まず「牛乳」。これって、要は"子牛の飲み物"。
母乳と同様、子牛が成長(細胞分裂・増殖)するうえでかかせない、親から子に伝えるべき様々な、かつ大量の 成長ホルモン、成長因子、免疫機能の発達に関する化学物資が含まれている。
牛は一般に3か月そこらで「離乳」するというから(1日に1㎏体重が増える)、この急速な成長を支えるべく、母乳よりも強力であることは容易に想像がつくだろうと思う。
また、成人であれば、成長段階や性サイクルに応じて分泌される、女性ホルモンや成長ホルモンの作用により、肝臓その他の色々な細胞でつくられており(つまり必要量は自己調達が通常可能)、血中濃度が最も高い時期は思春期である。
女の子の思春期に乳房が膨らむのは、女性ホルモンの働きによって「インスリン用成長因子」の分泌・働きが活発になり、乳腺細胞の分裂・増殖が促進されるからとのこと。思春期を過ぎても、性周期における微妙なホルモンバランスで乳腺細胞の発達、退化が見られることは、成人女性であれば皆経験として知っているはず。
次に「がん」のこと。
病理学的にいえば、がんは、細胞の異常増殖。
正常な細胞であれば、細胞分裂は厳格なコントロール下にあって他の細胞に接触すれば増殖を止める。怪我をしたときを想像してほしい。細胞分裂によって傷口は再生していくが、修復されれば増殖は停止する。
ちなみに、細胞分裂は、細胞が二つに分かれる基本的な生体現象。受精卵に始まり、細胞内で起こっている。細胞膜で囲まれた細胞内部でタンパク質が新たにつくられて細胞全体が大きくなっていき、同時に、細胞内の核(細胞核)に格納されている遺伝情報が正確に複写・複製され(DNAが連なって「らせん構造」をなす染色体が複製される)、分裂の準備が整う。そして細胞は二つに分かれ、2つの娘細胞(じょうさいぼう)に分裂して完了する。
こうした細胞分裂のプログラムは細胞内の司令塔である核の中の遺伝子に書き込まれているが、この遺伝子に突然変異が起こる。複製の過程で複製エラーが入る。あるいはまた、体外から入ったニコチンや様々な化学物質に曝されて遺伝子にキズがつく。これががんの始まりである。
乳がんの場合、乳腺細胞の分裂・増殖が活発な思春期に始まりがあるのだろう とされる。ここで何らかの原因で複製エラーが起こる。他のがん含め、遺伝子の複製エラーの「原因」については、環境ホルモン含めいろいろ言われているが、確かなことは未だわからない。
癌細胞は1日に約5000個も生まれているとされ、1個の癌細胞が1センチの大きさになるには10年から20年かかるといわれている。
最初にできたがん細胞が、「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」や免疫の監視を逃れて潜伏し、「増殖の刺激」を受けて成長し、「しこり」として自覚されるのは、なので数十年後ということになる。
最後に「牛乳」と「がん細胞」の関係。繰り返しになるが、牛乳は子牛の急速な成長を支える強力な生化学的液体。これを離乳期を終えた、あるいは思春期を過ぎ成熟した大人の女性が飲むとどうなるか。体内に潜んでいる「がん細胞」の分裂・増殖を刺激してがんの成長を促し、また、がんの再発をもたらすことになるのだ という。
ちなみに、最近では、牛乳中・乳製品に含まれるインスリン様成長因子と他のがんの増殖との関係を指摘する研究もあるという。
何かで読んだが、がんを克服しようと思ったら、生還者の話を聞きなさい と。 これは、乳がん患者、そして並列される前立腺がん患者等にとって「朗報」なのではないか。
もちろん「予防」として捉える際は、リスクの問題だから、たばこを吸う人がみな肺がんにならないように、乳製品を摂取する人がみな、乳がんになるわけではない。
でも、仮に乳がんという事態に見舞われたら、乳がんになりやすい体質であることが分かったのだから、牛乳・乳製品を一切絶つ というのは一つ知っておいてもよいのかな と思います。
食の欧米化とは何か?和食と洋食を一言であらわすなら、和食は味噌・醤油・鰹節・昆布の風味で、洋食はバター・クリームの香りのする食事である。食の欧米化とは、日本人が牛乳・バター・クリーム・ヨーグルトなどの乳製品を口にするようになったことをいうのである。
そして著者Jane Plant(ジェイン・プラント)さんはいう(以下本文より)。
乳がんを経験した私は、西洋風の生活スタイルを信奉するキャリア志向の西洋女性から、東洋の伝統的な食事を愛好し、自然と調和した生活スタイルや価値観を共有する女性に生まれ変わった。
今の私は、以前にくらべて、自分に対してもまわりの人々に対しても優しくなったと思う。私はいまでも調理にあまり時間をかけないし、食事はシンプルである。しかし、栄養学的に十分な食事であると確信している。私は家族や友人のためにずっと多くの時間を割くようになった。家庭も仕事も以前に増して順調である。もはや、衣服でも、家具でも、園芸でも、自動車でも、流行にふりまわされることはなくなった。生活全般をできるだけ質素にするように努めている。そのかわり環境に対する関心が高くなった。私たちが住む、この「青く美しい惑星」と呼ばれる地球のいのちの永続性を強く願っている。乳がんが私を変えてくれた。不安定で権威に弱かった私を「自分という人格」をもつ強い女性に変えてくれたのは乳がんであった。
最後に、著者Jane Plantのサイトをご紹介します。乳がん同様、ホルモン依存性のある「前立腺がん」についても書籍を書いているようです。
http://www.cancersupportinternational.com/janeplant.com/
私はといえば、著者のアドバイスを参考に、バターを当面やめて、パンにはエキストラバージンオイルを。牛乳を、すこし乳製品が含まれているようだけど、成分調整豆乳に。精白米を、できるだけ玄米か胚芽精米に。自分に合ったより健康的な食生活を少しずつ工夫していこうと思います。
次は酪農の実態について探索してみたいと思います。
癌性髄膜炎(がんせいずいまくえん)
この病名を知ったのは、実は最近のこと。
母が激しい頭痛に苦しんでいた。
離れた実家で母を看病する姉から、この激しい頭痛について調べてほしい との連絡を受けた。
検索文字は、「乳がん」「頭痛」・・だっただろうか。少々難儀した記憶。
そして見つけた。
ちなみに母は、2年くらい前から、20年近くも前に手術をした乳がんが再発していた。ただ再発といっても、転移先は、膀胱周辺、骨など、乳房とは別の場所だ。
見つけたのは、このAmebaブログ「ある脳外科医のぼやき」の2つの記事。
- 癌性髄膜炎の認知度の驚くべき低さ|ある脳外科医のぼやき(2012年11月13日公開)
- 癌性髄膜炎って? 終末期について④ 再編版|ある脳外科医のぼやき(2010年8月20日公開)
以下は、最初の記事からの抜粋。
癌性髄膜炎とは何か??
それは癌の脳や脊髄の表面への転移です。
同時に、脳や脊髄の周りを流れる脳脊髄液中にも癌細胞が浮遊している状況です。
これが起きると、
水頭症からの意識障害を来たしたり、
様々な神経に浸潤することで多種多様の症状をきたします。
しかも、
発症すると平均余命が4-6週間とされるほど厳しい病気です。
母は、激しい頭痛に襲われ、とある月の18日、かかりつけの大学病院に緊急入院した。
CTにも異常はなく、ホルモン剤が合わなかった可能性が高い との主治医の発言(処方がまずかったということを自ら認めたと思われる)に失望し、退院。このときはMRIは撮っていない。
しかし、ホルモン剤は抜けていくはずなのに、頭痛はひどくなるばかり。
翌月16日、再度緊急入院。そして23日、亡くなった。
最初の緊急入院から実に約5週間目。
1回目の緊急入院で見逃し、2回目の緊急入院でMRIを撮って確定診断に至るまで6日を要し、放射線治療の開始までにさらに2日を要し、明日から放射線という時に日付変わって深夜未明、放射線治療を受けることなく亡くなった。
2回目の緊急入院の直前くらいかな、上のブログを読んでいた。
入院後、医師は余命数か月などといっていたけれど、患者とその家族を思えばそう言ったほうがよいのかもしれないけど、私としては、最初の入院から2回目の入院までにすでに1か月近くが経過していたことを思えばそんな悠長な話な訳はなく、一日一日固唾を呑んで生活し、看病していた。
私が今これを書くのは、上のブログの先生が書いているように、医師の認知度が低い中で、患者とその家族がしっかりと医師とのコミュニケーションを「積極的に」実践していかなければ、真の治療は受けられない ということ。
また、医師も看護婦も、比較的調子のよいときにやってきて、今日は比較的よさそうだ と簡単に記録していく。しかし、身近で看病する家族は症状が間断なく不安定に変動する様を見ている。それは患者やその家族が伝えなければ医師にも看護婦にも伝わらない。患者は慢性化しつつある症状の中で感覚がマヒしていくことも考えられるから、看病している家族こそしっかり伝えていきたい。
「癌性髄膜炎」。髄膜播種ともいう。固形になっていないのでCTに異常は出ない。転移性のがん患者にみられる。特に末期の患者に。激しい頭痛。MRIで画像確認できる。
このくらいは知識として知っておこう。
知らないことは愚かなことであり、知ろうとしないことは人生の放棄に等しい。にしても、あまりにも知らなすぎた。
そんな事柄がごまんとそこここに散らばっているとしたら・・・
少しでも「知らない」を「少しは知っている」に変えていきたい。
癌性髄膜炎になっても治療して回復を願う人には、最後にこちらを参考までに。
http://plaza.umin.ac.jp/sawamura/braintumors/meta/
Constant Visitor
最近入り浸りになっている場所がある。その名はDeli°f(デリド)市ヶ谷店。
自宅から靖国神社までのジョギングコースの終盤に位置するそのお店は、外に面したテラスの悠々としたたたずまいが、靖国を目前にしてちょっと立ち寄りたく風情を醸し出している。
感動したのは、コーヒー1杯136円(税込み)。4月からは少し値上げするでしょう。セルフサービス、それもマニュアルでガラスポットに入った数種類のコーヒーをトールサイズの紙コップになみなみと好きなだけ注ぐことができる。
珈琲のお供には、総菜パン、塩加減のほどよい手作りおにぎり、
お彼岸の連休中は おはぎ ・・・
最高!!!!
春の光と風が打ち寄せるテラスの椅子に腰かけて過ごす。
このお店、もっと評判になっていいはず。