ヤエチカ Sandog Inn 神戸屋 Since 1916

最近、ここの常連になっております。狙いは、朝7:00から10:30までのモーニング。

昨年秋頃から、モーニングの種類が変更になりました。

Aセット、Bセット、Specialセット。
大体、Sを頼みます、わたし。

パンに、ハムに、サラダにヨーグルトがつきます。もちろん、ドリンクも。

先日、錦糸町の駅内にある神戸屋キッチンに行って驚きました。

ここでは、以前ヤエチカ店でも扱っていたニューヨークの朝しかないのですが、サラダもハムのボリュームも、パンの量も、おそらく半分、それでいてお値段は立派にヤエチカ店のSセットと同じ。

同じチェーン店でこんな差ってあるの???

残念でしようがないので、書きました。
いろんな事情があるのでしょうが、同じブランドでこんなに提供しているサービスが違うって。。
おそらく二度と喫茶には入らないと思います。ま、好きなペストリーを選んで軽くお茶することはあるかも…

すみません、正直ベースな内容で。

(以下過去の記事ですが、ヤエチカ店で提供されるサービスでは健在です)

サラダは新鮮そのもの。パサついてたり、痛んでいたりというのがありません。そして、シーザサラダのドレッシングが程よくかけられています。私はシーザーが好きなので、ただただ嬉しい。このサラダに魅かれて入り浸ってる気もします。

3種類のハム&ソーセージも、甘みがあって、添加物の嫌な風味がなく、豊かな風味で、しっかりとした食べ応え、とにかく美味しい。幸せ〜〜な気分になれます。オーソドックスなロースハムも美味しいけど、私はショルダーがより好きかも…

ブレットは3種類、日によって違います。全部で40種類以上はあるそう。バターがほとよく塗ってあり、程よく温められて溶け込んでおります。ブルーベリージャムが添えられていますが、ハムをのせてもよく合い、バターの風味を味わっても良しと、美味しく食べられます。

これにお好きな飲み物をつけて、このお値段です。
巷には、300円代、400円代のモーニングは数ありますが、ここのモーニングは贅沢感、満足感が違います。とくにパン好きにはたまりません。

最近、安かろー悪かろーの風潮が広くまん延している印象ですが、お金で買えるもの、得られるものの中身に時に拘りたい私には、こうしたメニューを提供してくれるお店は、とっても貴重な存在。

ヤエチカ店のかつてのニューヨークの朝メニューの写真、こちらで発見。今のAセットです。

10:00には、すでに、11:00からのランチバイキングを待つ人たちの列ができますが、私は、炭水化物の取り過ぎは嫌なので、モーニング、しかも、オーソドックスなニューヨークびいきです。

皆さんも是非お試しを!




酪農について考える

海の日の連休中日の日曜日、日本橋が望める赤木屋珈琲にて、『黒い牛乳』(中洞正 著)を読んだ。本日2014年12月8日現在、店は閉じてしまった。

そうしたら、低温殺菌の牛乳を飲んでみたくなった。取りあえず、近所のスーパーの棚にあった「タカナシ」の『低温殺菌牛乳』を買ってみた。

<66℃30分間>と書いてある。殺菌処理の内容だ。ちなみに「明治」の『おいしい牛乳』には、<130℃ 2秒間>と表示されていた。
 
他にも、『タカナシ』のパックには、以下のような記載がある。下線部分は注目したい点。
     種類別名称     牛乳
     商品名         タカナシ低温殺菌牛乳
     無脂乳固形分   8.4%以上
     乳脂肪分      3.6%以上
     原材料名      生乳100%
     殺菌        66℃・30分間
     内容量         500ml
     ・・・(以下省略)
 
 
容器の表示については、食品衛生法に基づく「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」(略して乳等省令:1951年(昭和26年))と、「飲用乳の表示に関する公正競争規約」(景品表示法に基づき公正取引委員会の認定を受けた業界の自主ルール)がルールを定めている。

一般社団法人「日本乳業協会」のサイトを参考までに:
 
乳等省令には、牛乳だけでなく、特別牛乳(生乳にもっとも近いとされる)、成分調整牛乳、加工乳などの『乳』と、バター、チーズ(ナチュラル・プロセス)、アイスクリームなどの『乳製品』の定義や成分規格なども定められている。

<牛乳>の成分規格

これについては、「無脂乳固形分 8.0%以上、乳脂肪分 3.0%以上」、製造方法については、「保持式により摂氏63度で30分間加熱殺菌するか、又はこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で加熱殺菌すること」などとある。
 
また、2000年の雪印集団食中毒事件をきっかけに公正競争規約が改正され、乳(搾ったままの殺菌・加工をしていない牛乳のこと)100%でなければ「牛乳」を名乗れなくなった。

それまでは、生乳50%以上であれば、コーヒー牛乳とか、牛乳を名乗ることができたが、いまはご法度である。
 
上記タカナシの低温殺菌牛乳の表示は、ルールに即した内容になっている。

 
牛乳がまずいわけ
生乳を飲んだことも、飲み比べもしたこともない私は、市販されている牛乳を「まずい」などと思ったことはないが、酪農家からすれば、市販されている牛乳は「まずい」のだそうだ。

その理由は、120℃以上の高熱殺菌によるタンパク質(カゼイン)の熱変性に伴う「焦げ臭さ」と、風味の喪失、べとつき、だそうだ。それと、紙パックによる「紙臭さ」(以前は「瓶」も多かった)。

 ここで、今回購入した「タカナシ」の低温殺菌牛乳を飲んでみる。
 
わかるようなわからないような・・・。
 
市販されている牛乳に多い3.5%よりも0.1%濃厚な3.6%だから、わずかでも濃厚な感じはするが、舌に残って絡まるような粉っぽさ(表現が適切でないかも・・)はない気がする。いやある? 正直違いがよくわからない。最近は「豆乳」びいきになっていたので、牛乳はみな五十歩百歩に思えるのかもしれない。。
 

「焦げ臭さ」の原因となっている高温殺菌だが、なぜ高温で殺菌するのか。加熱時間に端的に現れている。タカナシの低温殺菌牛乳で30分。明治のおいしい牛乳で2秒。生産性が雲泥の差だ。
 

 
「濃い」牛乳はおいしい? いつから「高脂肪路線」へ?
 
著者いわく、もともと牛乳は「あっさりした飲み物」なのだそうだ。「牧草を食む牛が『濃い牛乳』を出せるはずがない」らしい。


また、牧場に放牧されている牛の出す生乳の乳脂肪率は、エサとなる草の水分量に左右され、年間を通じて一定というわけではないという。なるほど。


春から初秋にかけての、水分量の多い「青草」を食む牛の生乳は、乳脂肪分3.0%くらいになるし、乾草やサイレージ(牧草を乳酸発酵させた飼料)が主体になる冬場は、水分量が減り、乳脂肪分が3.5ほどの濃い牛乳になるという。

他にも、牛だって生き物だもの、ホルモンバランスや体調など、いろいろ影響を受けるだろうなと思う。
 
しかし、戦後、栄養価の高い飲料として全国的普及が一巡し、牛乳の消費が伸び悩む中、1970年代に農協から発売された「成分無調整」の「3.5牛乳」(それまでは逆に、水分を加えて薄めたりして、乳脂肪分3.0%以上の成分にしていたらしい)が大ヒット。

1987年、全農(全国農業協同組合連合会)は、乳牛メーカーからの要請と合意に基づき、独自の基準として乳脂肪分3.5%以上の生乳の生産を組合員である全国の酪農家に通達した(72p)。

これにより、乳脂肪分3.5%以上の生乳の出荷を実質的に義務付けるに至ったという。実質的にというのは、仮に3.5%を下回ると、出荷価格が半値にされることになったからだ(30p)。
 
 
畜産は2次産業化(工業化)?
結果として、「牧草」(グラスフェッド:grass-fed)を食む「放牧」から、「輸入穀物」(grain-fed)主体の飼料を与える「牛舎」へ、飼育方法が大きく変化していく。
 
「牛舎の中で穀物を主体にした濃厚飼料を与えなければ、年間を通じて3.5%以上を維持することはできない(72p)」。

かつて酪農学園大名誉教授であった、故桜井豊博士によると、<「牛舎」という「工場」で、「牛」という「ロボット」に、「輸入飼料」という「原材料」を用いて、「牛乳」という「工業製品」を生産させているのが、日本酪農の正体”>(29p)らしい。
 
よって、牛乳パックに描かれる「放牧」のイメージは、圧倒的大部分の現実に照らして、単なるイメージ、幻想にしか過ぎない。それよりも、半ばオートメーション化された工場に近いといえる。
 
結果として、この輸入穀物依存体質が、バイオエタノール(bioethanol、バイオマスエタノールとも)の開発や異常気象による干ばつなどによる穀物価格の高騰により、ダイレクトに生産コストの上昇というインパクトを受け、たとえば、2009年3月や昨年10月の小売価格の値上げにもつながっている。

農林水産省の公表している品目別の食料自給率によれば、飼料用を含む穀物の自給率は平成15年以降、3割を切っている。

乳・乳製品は、平成24年概算で6.5割だが、飼料は輸入穀物頼みだから、実際の自給率は2割以下だろう。

ちなみに、日本の健康食を支える【大豆】の自給率が、平成24年概算で8%だが、かなり前から10%を下回る水準で推移していることに驚く。

農林水産省HPより:
 
なお、飼料となる穀物の多くはトウモロコシとなっており、その9割はアメリカから輸入しているという。

「日本の高度経済成長後の経済発展は工業が主導し、おもにアメリカへの輸出がそれを支えた。その見返りとして、アメリカは日本に農作物・畜産物の輸入を求めた(74p)」。

 
 
本来の牛の姿:「強さとたくましさ、賢さ」
 
著者の中洞(なかほら)氏は、なかほら牧場の創業者である。

1969(昭和44)年の新全国総合開発計画に基づく「大規模畜産開発プロジェクト」の一環として行われた「北上山系総合開発事業」に1983年応募して、借金をしつつ、補助金を含むフルパッケージの「建て売り牧場」を手に入れたそうだ(141p)。
 
そして、会計検査院の検査を背景に、採算をとるため、押し付けの酪農指導を受けつつも、学生時代に思い描いた理想、信念に突き動かされて、農協との決別、山地酪農、自前プラントとブランドの立ち上げという、自立した酪農家の途に挑んでいく。
 
その結果がこれ。
なかほら牧場HP⇒ http://nakahora-bokujou.jp/
 
 
その冒険と試行錯誤の中で、中洞氏が発見したのは、「牛の強さ、たくましさ、賢さ」。

ちなみに、姉は「丑年」かつ「おうし座」生まれなのだが、半端なく「強く、たのもしい」(笑)。
 
中洞氏の文章をそのまま以下に引用したい(130p-131p)。とても躍動感のある筆致で頼もしい牛の姿が描かれている。
 
牛舎で生まれ、牛舎の中で一生を終えるひ弱な牛と異なり、自然に育って生活する牛は、人が容易に入り込めないような急な傾斜地、深いヤブの樹林をものともせずに入り込み、餌となる草をより分けて食べながら、草むらを踏みつけていく。定例の行き届かない山林の下草としてうっそうと生い茂るササなども牛の食糧だ。牛がそれを食べ、踏みつけるために、牛の入った深いササの藪は急速に消えていく。日本では手入れが行き届かず、クズという蔓性の植物に占領された無残な里山を見かけるが、クズもまた牛の食糧となる。クズに覆われた山林も牛にかかれば急速に消えていく。牛は地面に落ちた枯葉や枝や枯れ木を踏み砕き、豊かな土壌に変えていく。同様に木からこぼれ落ちた種も、牛は踏みしめることで着床させ、新しい苗を芽生えさせる。牛の餌食となった山林は、数年の後には、人間の手が行き届いた山林のように藪上の下草が生え、やはては牛の餌となるさまざまな下草が生えそろう。この下草は大地に根を張り、その豊かな表土をしっかりと守る。荒廃した山林を牛が守り、豊かな森に変えてくれるのである。また、人が容易に入り込めるようになるため、枝打ち作業などの森林の保全もかなり楽になる。山仕事でいちばん大変なのは枝打ちや間伐作業ではない。その作業を行うことができるように、下草を刈る作業がいちばん重労働なのである。これは苗木を植林した後の5~10年間、苗木の成長を阻む雑草や灌木、蔓性の植物などを鎌や刈り払い機で取り除く作業だ。下草刈りが行われるのは、植物の成長が盛んな土用のころである。真夏の猛暑期に行われる作業は大変過酷だ。そのうえ、ハチに刺されたり、ヘビに咬まれる。あるいは漆にかぶれるといったことも日常茶飯事である。こうした作業を牛が人に代わってやってくれる。しかも、行く手を阻むような下草を健康でおいしい牛乳に変えてくれる。私は「下草刈り」をもじって「舌草狩り」と呼んでいる。 
 
う~ん、最後はなるほど、ですね。
 
また、牛の消化機構もかねてより知られているが、すごいものだ。
牛は4つの胃袋と「反芻(口をモグモグさせて食べ物と口に戻して唾液と混ぜる行為)」の仕組みをもっていて、人間が消化吸収できない強固な繊維質の壁(細胞壁)を持つ草を分解発酵し、その中の栄養分を摂りこむことができる。草を食べて、あの巨体と牛肉・牛乳など栄養価の高いタンパク源を生み出すことができるのは、そのためだ。
 
 
ここで著者が放牧牛と牛舎牛をいろいろ比べているので、その内容の一部を表にまとめてみた。すべて綺麗に比較対照できるほどの情報量でもなかったけど…

違い

牛舎飼い

山地酪農(中洞氏の例)

生活環境

牛舎

フリーストール(牛を1頭ずつ収容する区画)

排泄訓練

搾乳の都合で尾っぽを切り取ることも。

糞尿の清掃。

放牧地

放牧地の面積と頭数のバランスが大事(1ヘクタール当たり2頭を基準)。

寒さを避ける斜面や木陰、暑さを避ける木陰、風通しの良い尾根、沢筋の水場などの多様な地形が必要。

糞尿はそのまま牧草の肥料に。

出産

ほとんど人間の手による出産。

出産から2か月(泌乳がピーク)で人工授精。

約9か月(280日前後)で出産。

自然分娩。

母牛と子牛

出産後すぐに引き離し、子牛房・保育房へ。

哺乳バケツで母牛の初乳(出産後5日間の牛乳:出荷できない)を与える。

なるべく早く代用乳(粉ミルク)、人工乳(離乳食)へ。

2か月は自然哺乳。発育。情緒安定に役立つ。

2か月後には隔離、互いに自立させる。

搾乳時期 

※牛の泌乳は分娩・出産後の約11.9か月(361日)

※牛の平均寿命は20年以上

出産前の2か月は乾乳時期(搾乳しない)。

初乳を除き、残り10か月は毎日一日2回搾乳する。

生涯における泌乳量のピークは出産3~4回目の後。平均供用年数は6~7年(その後は屠殺処分、農林水産省の2005年データより)。

乾乳時期は同じ。

出産後2か月は子牛のもの。

朝夕搾乳。

除角

怪我や事故の原因になるので、人やほかの牛の安全のため、生まれて間もなく除角。

行わない。角により、集団内の秩序が生まれる。

蹄(ひづめ)の削蹄

定期的な削蹄が必要。

行わない。自然放牧の中で自然にすり減る。

健康状態

サプリメントや薬剤

放牧病といわれるダニ熱やワラビ中毒の予防注射は行わない。自然放牧による強靭な足腰、消化器系や呼吸器系の強さを育み、また、毒草を判別することができる。

 
 
 
 
家畜福祉の考え
牛舎での飼育が人道的に問題であるとか、著者は直接的には論じないが、Animal welfareの考え方を紹介してくれている。
もともと1965年イギリスで提唱された5つの自由(Five Freedom)がベースになっているとのこと。
考え方自体は古くから一部の人々が主張してきたものだけれども、1964年のルース・ハリソンの「アニマル・マシーン」という本を通じてヨーロッパの人々に広まったという(109p~)。
 
また、その後1997年に、オランダのアムステルダムにおけるEU会議で採択された「動物の保護及び福祉に関する議定書」なども紹介されている。
 
 
日本の林業のいま。“山地酪農”のススメ
 
著者は自然放牧を行う手がかりとして日本の豊かな自然資源に着目しているという。
 
日本の国土の約7割を占める森林資源。

そのうちの4割は、戦後焼け野原となった国土の復興に向けた木材需要のため、「拡大造林政策」によって植林されたスギ、ヒノキ、各種マツなどの針葉樹を中心とする「人工林」とのことである。

しかし、東京オリンピックの年(1964年)の木材輸入自由化など、コストのかかる人工林を中心とした林業経営は採算が立ち行かなくなり、このところ収穫期を迎えつつある人工林が、木材価格よりも伐採コストのほうが高いということで放置されている実態があるという。
 
そして、林業経営の停滞、人工林の放置、山村の過疎化などにより「里山」が荒廃して「獣害」が進んでいるほか、枝打ちや間伐がなされず放置された林床が衰え、土壌浸食が進んで雨天時の土砂災害や渇水時の水不足を生んでいるとのことである。
 
なお、戦後の拡大造林と花粉症との関係について関連性を肯定する見解もあれば、別の原因を指摘する向きもある。後者の観点で展開するブログを一つだけご紹介。

 
 
そこで著者の中洞氏は、放牧による山林保全、国土保全、ひいては安全保障を提案している。

放牧によって荒れ果てた山野が手入れの行き届いた豊かな森に変わっていくのは、すでに中洞氏の文章のままご紹介したとおりだ。
 
こうした山地酪農を含む、多様性のある酪農へいかに軌道修正を測っていくのか。いかに山で食えるのか?と著者は問いかける。
 
現在主流になっている輸入飼料に依存した高脂肪牛の生産、流通、消費。本来高コストな牛乳が、水や清涼飲用水と同じ価格帯で売られているカラクリ。牛舎と補助金で自主性が損なわれた酪農。
 
そこには、人間の自主独立と、自然の摂理を歪めた、政府や集団の介在がある。
 
そこからの脱却は、とてもとても難しく、体力、知力、気力が必要だ。
 
著者も、そのしがらみ、惰性に抗い、荒野を開拓することのチャレンジに、たびたび言及している。
 
そして、採算を確保するための付加価値の創出、地道で緻密なコスト管理にそろばんたたき、積極的で果敢な営業活動、そして縁、巡り合わせなどに触れるのである。
 
 
単純にまとめてしまえば、個人個人の生き方の問題に還元されてしまうようにも思う。もっと、自然と調和して、最大多数の豊かな生活が保障される仕組みづくりがなされることが理想なのだけど、なぜか現実は本当にそうはいかないね。
 
 
 
 
 

福岡伸一さん「動的平衡」を読んだ。

私が福岡伸一さんを知ったのは「生物と無生物のあいだ」が最初。
今回も、根拠の曖昧な世の常識、単なる勝手なイメージを、科学の根拠をもってわかりやすく、clear-cutに書いている。
 
記憶とは何か???
 
シェーンハイマーは、「食べ物の中に含まれる物質がまたたく間に身体の一部となり、また次の瞬間にはそれは体外に抜け出していくことを見出し、その分子の流れこそが生きていることだと明らかにした」人物。
著者は、巧みに、読者に対して、細胞の中で絶えず起きている分子レベルの動きを伝えている。
「ヒトを構成している分子は次々と代謝され、新しい分子へと入れ替わっている。」「脳細胞は一度完成すると増殖したり再生することはほとんどないが、それは一度建設された建物がずっとそこに立ち続けているようなものではない。脳細胞を構成している内部の分子群は高速度で変転している。その建造物はいたる部分でリフォームがなされており、建設当時に使われた建材などは何一つ残っていないのである。」うーん、なるほど。
  
このように「細胞の中身は、絶え間のない流転にさらされている」ので、「そこに記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。」
 
つまり、「常に代謝回転し続ける物質記憶媒体にすることなどできるはずがない。だから、音楽やデータを記録する媒体として、我々は常により安定した物質を求め続けてきた。レコード、磁気テープ、CD,MD,HD・・・・。」
 
では、記憶は一体どのような形で我々の中に存在しているのか?
それは「おそらく細胞の外側にある」という。「正確に言えば、細胞と細胞のあいだに。神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連繋を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。
 
神経回路は、「クリスマスに飾りつけされたイルミネーションのようなもの」。「電気が通ると順番に明かりがともり、それはある星座を形作る。オリオン座、いて座、こぐま座。」
 
ヒトの記憶もこのようなもの。
 
「たとえ、個々の神経細胞の中身のタンパク質分子が、合成と分解を受けてすっかり入れ替わっても、細胞と細胞とが形作る回路の形は保持される。」
 
これを読んで、細胞レベルでは、分子同士、相手を「形」で識別しているという事実を想起した。形のもつサイン、シグナル、意味、それが記憶の正体か・・・人間も対象を、往々、形で認識しているのでは。男の形、女の形。当てはまらないと混乱する(*^^*)。根拠薄弱なパターン化された型だけど、パターン化は便利だからね。
 
 
「体内時計」の仕組み
「生物の体内細胞の正確な分子メカニズムはいまだに完全には解明されていない」とのこと。
 
「しかし、細胞分裂のタイミングや文化プログラムなどの時間経過は、すべてタンパク質の分解と合成のサイクルによってコントロールされていることがわかっている。つまりタンパク質の新陳代謝速度が、体内時計の秒針なのである。」
そして、私たちの新陳代謝速度は、「加齢とともに確実に遅くなっている」つまり「体内時計の秒針は徐々にゆっくり回ることになる」ということで、年を経るごとに、時の過ぎ行くのが早く感じるようになるわけ。
 
 
「空耳(ソラミミ)」と「空目(ソラメ)」。我々の脳が作り出す感覚と錯覚。
言語教育は幼児のときがベストというけれど、もともと「胎児期、脳ができはじめるとき、神経細胞は四方八方に触手を伸ばして手当たり次第連結を作り出し、できる限り複雑な回路網を作り出す」という。「その後、母胎からこの世界に生れ出ると、この回路網は『刈り取られて』い」き、、環境に晒されて、さまざまな刺激に遭遇すると、その時に使われる回路は太く強化される。逆に、使われない回路は連結が切れ、消滅していく。このようにして、私たちはこの多様性に満ちた世界と折り合いをつけていくのだ。」使える言語もこうして選択される。
 
この刈取りは、各人が、「それぞれの個別の環境とタイミングで」「膨大な可能性の中から選び取」ってきたもので、「まったく個人的な、一回限りの営み」であり、「私たちの人生の固有性はこのようにして生まれる。」私たちは、一秒一秒、こうして不可逆的な自分だけの路を突き進む。全てが自分らしさを形作っているんだ。
 
このことは「生きていくうえで、とても重要なことではあるのだけど」、同時に、この脳の回路網の固有性が、我々に錯覚を犯させる、という。
だから学び続けることが大事。「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ。」
 
「私たちは、本当は無関係のことがらの多くに因果関係を付与しがちである。」そのほうが「世界を図式し、単純化できる」から。「私たちが今、この目で見ている世界はありのままの自然ではなく、加工され、デフォルメされているものなのだ。デフォルメしているのは脳の特殊な操作である」「ヒトの思考が見出した『関係』の多くは妄想でしかない。」
 
しかし、進化はこのような思考の規制だけでなく、「可塑性、つまり自由への扉も開いてくれている。私たちは自ら生物学的規制の外側へ思考を広げることができるのである。」
 
よく言われることに、我々は、「脳のほんのわずかしか使っていない」というのがある。著者によれば、それは、「世界のありようを『ごく直観的にしか見ていない』ということと同義」だそうだ。「世界は私たちの気がつかない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。」
 
ここから著者は「直観に頼るな」という箴言(戒め)を導き出す。「直観が導きやすい誤謬を見直すために、あるいは直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべき」。
 
著者の主張は基本的にうなづけるものではあるが、人生経験の中で自らの<直観>をかなり徹底して検証してきた。パターンのバリエーションを増やしてきたのかもしれない。そして、いま思うことは、まさに「自らの生物学的制約から自由になるために」、その地平線の先に待つものにイマジネーションを馳せるために、本を読み、見聞を広げていくと同時に、人生は決断の連続であることを思えば、いまに至る自らの個性を<刈り取り>、形作ってきた自らの<直観>をますます大切にしたいと思うこの頃である。
 
 
You are  what you ate.
西洋の諺:「汝とは、汝の食べた食べ物そのものである」。まさにそのとおり。
 
 
※ここで一旦、本を返却(期限超過のため)。
 

がんの歴史書を読んで(第1回)~「がん」とは細胞の異常増殖

乳がんと牛乳」に続けて、図書館でチラ見していた「病の皇帝「がん」に挑むー人類4000年の苦闘」(原著 "The Emperor of All Maladies/ a Biography of Cancer by Siddhartha Mukherjee” 訳 田中文)を読みました。著者は、1970年インドのニューデリーの生まれで、アメリカの大学に進学した、腫瘍内科医。上下巻あわせて700ページほどあり、こんな大部な本を読むのは久しぶり。

 

ですが、この本、がん医療にかかわる人の必読書ではないかと思います。特に、癌の治療を職業とする「医師」という専門家集団には例外なしに読んでほしい。なぜなら、最近思いを強くするのは、情報量が結果を左右するということ。会社で勤めていてもわかるけど、会社の内実、過去の経緯、背景を押さえているかいないかで、仕事の仕上がりが全然違ってくる。難しいなとか、なんでできないんだろうって自分の能力のなさに落胆するより、むしろ手持ち情報が少ない理由を分析したほうがよい。がんに取り組むのなら、「癌の歴史書」(本の副題は、癌の伝記を意味するbiography of cancer)であるこの本を読んでいるか否かで、見える視界は全然違うんだろうなって思う。文学作品としても素晴らしいと思う。著者独自の視点、観察、分析、理解を、鋭い的確な表現を用いて巧みに描いている。感動が押し寄せ、圧倒される。

 

読んで強く印象付けられたのは、医学・医療の発展とは科学の発展であり、人体実験、動物実験、死体解剖を通じて、ルールも地図もないフロンティアを、情熱と形のないアイディアに突き動かされた医師や研究者たちが、過去の知見と自らの信念を頼りに、たゆまず突き進んだ数々の人生物語が織りなす世界、なのだということ。

 

その長い物語をどう整理しようか考えてみたけれど、本の筋に沿って順に要点をまとめていくより、大胆に、<がんの定義と到達点>(今回)と、がんの治療と予防の歴史と到達点(次回以降)とに分けて、自分なりにまとめてみたい。

 

がんとはなにか?「細胞の無限かつ無制御の増殖」。しかし、このように定義されたのはそれほど古いことではなく、今ではあたりまえのような、<あらゆる生物は(人体も)細胞からできている>、<細胞は細胞からしか生まれない>という「細胞説」を唱えたのは、19世紀のドイツの医師<ウィルヒョウ>だ。成長には「細胞の肥大」と「細胞の過形成」しかないとして、彼は、当時、感染症が原因ではないかとされていた「白血病」を、細胞の「病的な過形成」に分類し、「白い血液のがん(病気)」という意味のLeukimia(ルキーミア)という名を付けた。

 

その前までは、人体は四つの「体液」、血液、黒胆汁、黄胆汁、白い粘液から構成されて「均衡」を保っており、このバランスが崩れると病気になるという、紀元前400年前の医学者<ヒポクラテス>が提唱した「四体液説」が広く深く信じられていたというから驚いた。そして、鬱、メランコリーとともに、がんは黒胆汁の異常によるものだとされ、黒胆汁の流れる管が真剣に探索されていた時代もあったというからさらに驚く。解剖学が未発達で、顕微鏡のない時代の話であることを思えば頷けるけれども(顕微鏡によって初めて「細胞」の発見が可能になったのだから)。

 

細胞(がん細胞)はなぜ無秩序な分裂を始めるのか?<発がん>のメカニズムについては、いまでは、細胞分裂時のコピーミスによる<遺伝子の突然変異の蓄積>とされているが、そこに至る物語は長い。まず<遺伝子>と<突然変異>の発見が必要である。エンドウマメの観察から「遺伝」という現象を発見したのは、修道院の司祭であったメンデルだけど(1860年代)、何らかの<物質>によって世代間で<形質>の受け渡しが行われているだろうと予想はしたものの、その物質がなんであるかなど彼は知ることはなかった。その物質に<遺伝子>という名前がつけられたのは1909年、植物学者による。

 

他方、生物学者の<フレミング>は、化学染料によってサンショウウオ細胞分裂を視覚化することを試み、細胞核内部に強く染まる糸状の構造体があるのを発見し、「染色体」と名付けた(1879年)。また彼は、あらゆる「種」の細胞が固有の数(ヒトは46本)の染色体をもち、細胞分裂ではこの染色体が複製され、分裂により2つの娘細胞(じょうさいぼう:1つの細胞の分裂の結果、生成される2つの細胞のこと)に等分されることを発見する。

 

しかし、遺伝子と染色体を結びつけ、遺伝という子孫への形質継承がこの染色体の複製と分裂によって担われていること、また、遺伝子が染色体という糸状の構造体の中でDNAという化学物質の形で存在することを明らかにしたのは、モーガンというショウジョウバエの研究者だ(1915年)。モーガンはまた、ショウジョウバエの中に突然変異体(表現形が正常と異なる個体)が現れることを発見し、それが遺伝子の変異によること、変異遺伝子もまた世代間で伝わることを発見した(1910年代~)。いま聞くと驚くような内容じゃないけど、当時はすごい発見で、このモーガンさん、1933年にショウジョウバエの遺伝子に関する研究の功績が認められて「ノーベル医学・生理学賞」を受賞している。

 

では、ヒトのがん細胞とショウジョウバエの遺伝子の突然変異がどのように結びつくのだろうか?実はここからが長く、半世紀を要したらしい。

 

モーガンの弟子のマラーは、1920年代には、X線照射によって、モーガンの発見した自然変異(複製時のコピーミス)を人為的に加速できることを発見していた。他方でラジウムを発見したキュリー夫人白血病に倒れたことなどからX線ががんを誘発することは知られていたのだけれど、モーガンとマラーは不仲で、X線⇒発がんと、X線⇒遺伝子の突然変異⇒突然変異体を統合して、遺伝子の突然変異⇒発がんを結びつける想像力を発揮する精神的ゆとりを失ってしまっていたらしい。科学者は、大胆な仮説を打ち立てる想像力と跳躍力、そしてそれを実証する着想と技術が何より大事なのだ。

 

では、その後の半世紀で何が起きたのか。そこではラウス肉腫ウイルスによる発がんの仕組みが注目された。今日、ウイルスによる発がんは肝炎ウイルスなど全体の約15%とされるが、当時はウイルスこそが発がんの唯一の原因であると主張する人たちもいたらしい。しかし、ラウス肉腫ウイルスの増殖に関係する遺伝子がふるいにかけられると、それはあらゆる生物の細胞に存在することが分かり、ただ正常細胞の遺伝子と異なつて、タンパク質の合成を活性化するキナーゼというリン酸化酵素が異常に活性化されている(変異)ことが分かった。ラウス肉腫ウイルスは、がん細胞の変異した遺伝子を取り込んで(!)増殖し、がんをつくっていたのだ。この研究により、ラウス肉腫ウイルスによる発がんは、変異した遺伝子が原因であり、この遺伝子(がん遺伝子)は宿主の正常細胞の遺伝子(原がん遺伝子と呼んだ)に由来することが明らかにされた。さらにその後の研究で、発がんに関わる遺伝子変異には2種類あり、ラウス肉腫ウイルスが利用していた、タンパク質の合成を活性化して細胞分裂を促す「アクセル」としてのがん遺伝子のほか、逆に細胞分裂を抑止する「ブレーキ」としての抗がん遺伝子(がん抑制遺伝子)があることも分かった。どちらの異常も(アクセルの場合は活性化、ブレーキの場合は効きが悪くなる不活性化)、無秩序、無制御な細胞分裂を誘発する。ここまでがモーガン以降、半世紀を要したガンの話。

 

ちなみに、遺発がんを取り巻く環境的・外的要因もいろいろ明らかにされていく。肺がんと喫煙の関係は典型で、1964年のアメリカにおける報告において、喫煙は肺がんの主要な原因であると明確にされている。ほかにも、合成ホルモン、アスベスト、肝炎ウイルスによる慢性炎症、ヘリコバクターピオリ(細菌)による慢性胃炎もまた発がん因子であること1980年代にかけて明らかになっていくが、いずれも、がん予防のための強力な戦略を生むためには、もっと深い発がんメカニズムの理解、これらの発がん因子が何をしているのかを突き止める必要があり、それが、上記のような経緯により、たとえば、たばこの中に含まれるニコチン、タールなどの化学物質や慢性炎症による慢性的な細胞の損傷と修復のサイクルが、細胞内の遺伝子の変異を誘発する一因になっていることがわかってきたのだ。

 

1980年代以降、ヒトは、ヒトのがん遺伝子とがん抑制遺伝子をがん細胞から分離し、特定する作業を進める。細胞内には約2万個の遺伝子(ヒトゲノム計画により2004年に判明)があることが明らかになっているが、腫瘍生物学者のワインバーグは、変異したがん遺伝子は「ほんの一握り」しかないはずと大胆に予想し、素晴らしい技術でがん細胞内の遺伝子(DNA)を正常細胞に移し、無制限の増殖により多数の細胞からなるいびつな山(フォーカス)を形成するかを観察した。1982年にはras(ラース)というがん遺伝子の分離、1986年にはドライジャらとともにRbというがん抑制遺伝子の分離に成功し、これを皮切りに、90年代までに、ほかの多くのがん遺伝子とがん抑制遺伝子の特定がなされることになった。 

 

しかし、遺伝子組み換えマウスにがん遺伝子を組み込んだ実験の結果はイマイチで(がんの発現はわずかであり、時間も要した)、がんが一つの遺伝子変異より突如発生するものではなく、様々な外的、内的要因の影響を受けて、細胞内の遺伝子変異が多段階に進み、同時に細胞自体も正常細胞から前がん細胞、そして浸潤性と転移性を有する悪性細胞へと段階的に進行していく、長くてゆっくりとした「発がんのマーチ」を要するものであることを再認識させる。

 

加えて、発がんにおける遺伝子の働きも明らかになってきた。遺伝子により制御された細胞内では、遺伝子のもつ設計書に従い合成されるタンパクとタンパクとがシグナルの伝達経路を形成し、その有機的な統合によって細胞として機能しているのだけれど、がん遺伝子やがん抑制遺伝子の変異は、細胞分裂にかかわるシグナルの伝達経路を異常に刺激してタンパクの異常な合成を促しているだけでなく、傷を治すための血管を新生するシグナル経路、細胞死を阻止するシグナル経路、免疫細胞が感染巣などに移動する際に利用する運動性を促すシグナル経路などにも働きかけて、正常では考えられない、がん特有の異常な挙動を誘発しているということらしい。いわば、がん細胞は我々のゆがんだバージョン。

 

がんとは何か? がんは、細胞内の遺伝子の突然変異の蓄積により誘発される、細胞の異常増殖であり、血管を新生し、浸潤し、転移をする。がん細胞には確かに遺伝子レベルでの変異があるのだが、正常細胞との違いはほんのわずかに過ぎない。この正常細胞から悪性細胞への形質転換を支配する法則については、2000年にワインバーグらにより発表された「がんの特徴」という論文により、次の6つの細胞生理学的変化が合わさったものであるとされた。

①がん遺伝子の活性化による自律的な増殖能の獲得

②がん抑制遺伝子の不活性化

③細胞死(アポトオ-シス)機能の不活性化

④無制限な複製力

⑤血管をがん細胞の周囲に新生する能力の獲得

⑥多臓器への移動、組織への浸潤、全身転移の能力獲得

 

今回はこれでおしまい。次回は、人類のガンに対する理解の度合いが、ガンの治療と予防の内容を決めてきたことを、がん治療と予防のそれぞれの歴史、治療と予防の間の亀裂と統合などを追いながら、まとめてみたい。

 

なお、文章が粗いので、更新を続けていきたいと思います。

乳がんと牛乳

乳製品とホルモン依存性のがん(乳がん卵巣がん・前立腺がん)との関係について、最近乳がんと牛乳」(原著タイトル"Your Life in Your hands" by Jane Plant、訳者は山梨大医科大学名誉教授の佐藤章夫氏) という本を読みました。とても参考になりました。

がんに関しては最近いろいろ読んでおります。

こうした生物化学、医学、栄養学、病気などのつながりについては、いざわが身に降りかかった時に備えて、いろいろ基礎的なことは押さえておきたいと思うこのごろ。

まゆつばものも多いこの類の本は、納得がいくまでいろいろ情報を得て自ら考えることが何より大事。

著者は、自身が進行性の高い乳がんを患い、全摘手術を受けたものの、その後4回再発、さらに首のリンパ節にも転移したにもかかわず、牛乳・乳製品を一切絶って6週間で「生還」した経験の持ち主。チーズも、バターも、ヨーグルトもさることながら、ビスケット、ケーキ、その他様々、乳製品を含む食品の多さに驚いたという。

著者の説く、牛乳その他の乳製品と乳がんの関係を理解するには、「牛乳」と「がん細胞」のそれぞれの特徴に分けて考えてみるとわかりやすい。
(以下では、訳者の解説も参照し、説明を試みました。)

 
まず「牛乳」。これって、要は"子牛の飲み物"。
母乳と同様、子牛が成長(細胞分裂・増殖)するうえでかかせない、親から子に伝えるべき様々な、かつ大量の 成長ホルモン、成長因子、免疫機能の発達に関する化学物資が含まれている

牛は一般に3か月そこらで「離乳」するというから(1日に1㎏体重が増える)、この急速な成長を支えるべく、母乳よりも強力であることは容易に想像がつくだろうと思う。
 
なかでも、細胞分裂と増殖を促すというインスリン様成長因子」IGF:Insulin-like Growth Factor)というのが鍵を握っている。これは牛乳にも母乳にも含まれているが、牛乳のほうが含有濃度は当然高い。なおインスリン様というのはインスリンに分子構造が似ているという意味で、人体内での生理的働きは少し異なっている。

また、成人であれば、成長段階や性サイクルに応じて分泌される、女性ホルモンや成長ホルモンの作用により、肝臓その他の色々な細胞でつくられており(つまり必要量は自己調達が通常可能)、血中濃度が最も高い時期は思春期である。

女の子の思春期に乳房が膨らむのは、女性ホルモンの働きによって「インスリン用成長因子」の分泌・働きが活発になり、乳腺細胞の分裂・増殖が促進されるからとのこと。思春期を過ぎても、性周期における微妙なホルモンバランスで乳腺細胞の発達、退化が見られることは、成人女性であれば皆経験として知っているはず。

次に「がん」のこと。
病理学的にいえば、がんは、細胞の異常増殖

人間の約60兆個の細胞内で行われている生体反応は複雑すぎて今なお人類はすべてを説明することができない。

今のところ分かっているのは、がん細胞は、細胞内の核にある遺伝子(NDA)の突然変異(mutation)の蓄積により、細胞分裂が制御不能になってしまい、隣の細胞へ進出(浸潤)、あるいは遠く離れた細胞にまで移動(転移)をして細胞分裂を無限に繰り返し、正常な組織を破壊していくというもの。

正常な細胞であれば、細胞分裂は厳格なコントロール下にあって他の細胞に接触すれば増殖を止める。怪我をしたときを想像してほしい。細胞分裂によって傷口は再生していくが、修復されれば増殖は停止する。

ちなみに、細胞分裂は、細胞が二つに分かれる基本的な生体現象。受精卵に始まり、細胞内で起こっている。細胞膜で囲まれた細胞内部でタンパク質が新たにつくられて細胞全体が大きくなっていき、同時に、細胞内の核(細胞核)に格納されている遺伝情報が正確に複写・複製され(DNAが連なって「らせん構造」をなす染色体が複製される)、分裂の準備が整う。そして細胞は二つに分かれ、2つの娘細胞(じょうさいぼう)に分裂して完了する。

こうした細胞分裂のプログラムは細胞内の司令塔である核の中の遺伝子に書き込まれているが、この遺伝子に突然変異が起こる。複製の過程で複製エラーが入る。あるいはまた、体外から入ったニコチンや様々な化学物質に曝されて遺伝子にキズがつく。これががんの始まりである。

乳がんの場合、乳腺細胞の分裂・増殖が活発な思春期に始まりがあるのだろう とされる。ここで何らかの原因で複製エラーが起こる。他のがん含め、遺伝子の複製エラーの「原因」については、環境ホルモン含めいろいろ言われているが、確かなことは未だわからない。

癌細胞は1日に約5000個も生まれているとされ、1個の癌細胞が1センチの大きさになるには10年から20年かかるといわれている。

最初にできたがん細胞が、「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」や免疫の監視を逃れて潜伏し、「増殖の刺激」を受けて成長し、「しこり」として自覚されるのは、なので数十年後ということになる。

最後に「牛乳」と「がん細胞」の関係。繰り返しになるが、牛乳は子牛の急速な成長を支える強力な生化学的液体。これを離乳期を終えた、あるいは思春期を過ぎ成熟した大人の女性が飲むとどうなるか体内に潜んでいる「がん細胞」の分裂・増殖を刺激してがんの成長を促し、また、がんの再発をもたらすことになるのだ という。

ちなみに、最近では、牛乳中・乳製品に含まれるインスリン様成長因子と他のがんの増殖との関係を指摘する研究もあるという。

 
さて、読了して明らかなことは、著者は、牛乳・乳製品を一切絶つことで進行性の強い悪性腫瘍から「生還」したということ。

何かで読んだが、がんを克服しようと思ったら、生還者の話を聞きなさい と。 これは、乳がん患者、そして並列される前立腺がん患者等にとって「朗報」なのではないか。 

もちろん「予防」として捉える際は、リスクの問題だから、たばこを吸う人がみな肺がんにならないように、乳製品を摂取する人がみな、乳がんになるわけではない。

でも、仮に乳がんという事態に見舞われたら、乳がんになりやすい体質であることが分かったのだから、牛乳・乳製品を一切絶つ というのは一つ知っておいてもよいのかな と思います。
 
 
訳者によれば、「なぜ日本の若い女性に乳がんが増えているのか」と問われると、ほとんどすべての専門家は「食生活の欧米化」と曖昧な言葉で答えるという。

食の欧米化とは何か?和食と洋食を一言であらわすなら、和食は味噌・醤油・鰹節・昆布の風味で、洋食はバター・クリームの香りのする食事である。食の欧米化とは、日本人が牛乳・バター・クリーム・ヨーグルトなどの乳製品を口にするようになったことをいうのである。

 
そして著者Jane Plant(ジェイン・プラント)さんはいう(以下本文より)。

乳がんを経験した私は、西洋風の生活スタイルを信奉するキャリア志向の西洋女性から、東洋の伝統的な食事を愛好し、自然と調和した生活スタイルや価値観を共有する女性に生まれ変わった。

今の私は、以前にくらべて、自分に対してもまわりの人々に対しても優しくなったと思う。私はいまでも調理にあまり時間をかけないし、食事はシンプルである。しかし、栄養学的に十分な食事であると確信している。私は家族や友人のためにずっと多くの時間を割くようになった。家庭も仕事も以前に増して順調である。もはや、衣服でも、家具でも、園芸でも、自動車でも、流行にふりまわされることはなくなった。生活全般をできるだけ質素にするように努めている。そのかわり環境に対する関心が高くなった。私たちが住む、この「青く美しい惑星」と呼ばれる地球のいのちの永続性を強く願っている。乳がんが私を変えてくれた。不安定で権威に弱かった私を「自分という人格」をもつ強い女性に変えてくれたのは乳がんであった。

 
最後に、著者Jane Plantのサイトをご紹介します。乳がん同様、ホルモン依存性のある「前立腺がん」についても書籍を書いているようです。
http://www.cancersupportinternational.com/janeplant.com/

 

私はといえば、著者のアドバイスを参考に、バターを当面やめて、パンにはエキストラバージンオイルを。牛乳を、すこし乳製品が含まれているようだけど、成分調整豆乳に。精白米を、できるだけ玄米か胚芽精米に。自分に合ったより健康的な食生活を少しずつ工夫していこうと思います。


次は酪農の実態について探索してみたいと思います。

癌性髄膜炎(がんせいずいまくえん)

この病名を知ったのは、実は最近のこと。

 

母が激しい頭痛に苦しんでいた。

離れた実家で母を看病する姉から、この激しい頭痛について調べてほしい との連絡を受けた。

 

検索文字は、「乳がん」「頭痛」・・だっただろうか。少々難儀した記憶。

そして見つけた。

ちなみに母は、2年くらい前から、20年近くも前に手術をした乳がんが再発していた。ただ再発といっても、転移先は、膀胱周辺、骨など、乳房とは別の場所だ。

見つけたのは、このAmebaブログ「ある脳外科医のぼやき」の2つの記事。

 

以下は、最初の記事からの抜粋。

癌性髄膜炎とは何か??

それは癌の脳や脊髄の表面への転移です。

同時に、脳や脊髄の周りを流れる脳脊髄液中にも癌細胞が浮遊している状況です。

これが起きると、

水頭症からの意識障害を来たしたり、

様々な神経に浸潤することで多種多様の症状をきたします。

 

しかも、

発症すると平均余命が4-6週間とされるほど厳しい病気です。

 

母は、激しい頭痛に襲われ、とある月の18日、かかりつけの大学病院に緊急入院した。

CTにも異常はなく、ホルモン剤が合わなかった可能性が高い との主治医の発言(処方がまずかったということを自ら認めたと思われる)に失望し、退院。このときはMRIは撮っていない。

しかし、ホルモン剤は抜けていくはずなのに、頭痛はひどくなるばかり。

翌月16日、再度緊急入院。そして23日、亡くなった。

最初の緊急入院から実に約5週間目。

1回目の緊急入院で見逃し、2回目の緊急入院でMRIを撮って確定診断に至るまで6日を要し、放射線治療の開始までにさらに2日を要し、明日から放射線という時に日付変わって深夜未明、放射線治療を受けることなく亡くなった。

2回目の緊急入院の直前くらいかな、上のブログを読んでいた。

入院後、医師は余命数か月などといっていたけれど、患者とその家族を思えばそう言ったほうがよいのかもしれないけど、私としては、最初の入院から2回目の入院までにすでに1か月近くが経過していたことを思えばそんな悠長な話な訳はなく、一日一日固唾を呑んで生活し、看病していた。

私が今これを書くのは、上のブログの先生が書いているように、医師の認知度が低い中で、患者とその家族がしっかりと医師とのコミュニケーションを「積極的に」実践していかなければ、真の治療は受けられない ということ。

 また、医師も看護婦も、比較的調子のよいときにやってきて、今日は比較的よさそうだ と簡単に記録していく。しかし、身近で看病する家族は症状が間断なく不安定に変動する様を見ている。それは患者やその家族が伝えなければ医師にも看護婦にも伝わらない。患者は慢性化しつつある症状の中で感覚がマヒしていくことも考えられるから、看病している家族こそしっかり伝えていきたい。

「癌性髄膜炎」。髄膜播種ともいう。固形になっていないのでCTに異常は出ない。転移性のがん患者にみられる。特に末期の患者に。激しい頭痛。MRIで画像確認できる。

このくらいは知識として知っておこう。

知らないことは愚かなことであり、知ろうとしないことは人生の放棄に等しい。にしても、あまりにも知らなすぎた。

そんな事柄がごまんとそこここに散らばっているとしたら・・・

少しでも「知らない」を「少しは知っている」に変えていきたい。 

癌性髄膜炎になっても治療して回復を願う人には、最後にこちらを参考までに。

http://plaza.umin.ac.jp/sawamura/braintumors/meta/

 

Constant Visitor

最近入り浸りになっている場所がある。その名はDeli°f(デリド)市ヶ谷店。

自宅から靖国神社までのジョギングコースの終盤に位置するそのお店は、外に面したテラスの悠々としたたたずまいが、靖国を目前にしてちょっと立ち寄りたく風情を醸し出している。

 

感動したのは、コーヒー1杯136円(税込み)。4月からは少し値上げするでしょう。セルフサービス、それもマニュアルでガラスポットに入った数種類のコーヒーをトールサイズの紙コップになみなみと好きなだけ注ぐことができる。

珈琲のお供には、総菜パン、塩加減のほどよい手作りおにぎり、

お彼岸の連休中は おはぎ ・・・

 

 最高!!!!

 

春の光と風が打ち寄せるテラスの椅子に腰かけて過ごす。

このお店、もっと評判になっていいはず。